SDGsとお寺
山梨県連合布教師会の皆様の前でSDGsの話をさせていただきました。僧侶の皆様にお話をするなど釈迦に説法で恐れ多いことですが、SDGsと仏教の教えは共通点が多く、どちらも持続可能な社会の構築においては大切な役割を果たしていると考え、お受けすることにしました。
はじめに鎌倉時代に新しい仏教の宗派が生まれた背景について考えてもらいました。主な理由は「社会情勢」と「末法思想」にあることにふれ、鎌倉時代と現在(令和)の共通点についても感じていることを述べました。鎌倉時代の疫病、天災、飢饉、戦乱の世による人々の不安と現在のコロナウィルス感染症、温暖化に伴う自然災害、干ばつや紛争による食糧不足、ウクライナ戦争等による人々の不安の共通性。その不安を払拭するために生まれた鎌倉仏教とSDGs。ただ、「地球環境が回復困難な状態にまでなっている現代の方が、末法の世に近いかもしれない。」という私見も述べさせていただきました。
SDGsと仏教の共通点についても、いくつかの例を挙げてみました。
①まず、SDGsは未来の世界の形。この先も、ずっと地球上に住み続け、人類が繁栄していくために、日本と世界がやらなければならないことがつまっている。経済成長だけでなく、社会的な(例えば皆が幸福度を上げられるような)成長や環境面からいつまでも豊かな自然環境が続くような成長。そんな総合力のある成長目標がSDGs。仏教は長い歴史の中で社会的な成長と豊かな自然環境が続くことの大切さをを伝えてきたという共通点
②コロナウィルス感染症に関連して、人間が動物の領域を侵す事で新興感染症が人間を苦しめている現状に触れた後、仏教の「生きとし生けるもの全ての幸せを願う」という教えこそが感染症への根本的対策であると同時に生物多様性の損失を防ぐ道であること。
③循環型経済(サーキュラーエコノミー)が今後の社会で重要になってくるが、その元祖は仏教であることを、僧侶が身にまとう袈裟の話を通して説明
④平和については、仏教の中でも中心的に伝えられてきた事が次のような言葉に示されています。
- 殺すなかれ
- 欲少なくして、足るを知る(戦争の原因は欲望から)
- そのいのちありがたき、かえがたき尊きもの
- 世界の平和なくして、個人の平和なし
- 世界平和の実現のためには多様性の尊重と慈愛が求めれている
この他にも、SDGsと仏教の親和性はたくさんあります。
- 足ることを知りて、養い易きこと
- 雑事に関わらず、簡素に生きること
- 生きとし生けるもののうえに幸いあれ、平和あれ、安楽あれ
- あたかも母性がその一人子を、おのが命を代えて守るがごとく生きとし生けるものに限りなき慈しみの思いを注げ
- 一木一草の中に仏が宿っている。自分の中に宇宙がある(人間の体の成分は地球と同じ成分。また、悠々の過去からの生命の歴史がつまっている)
このようにSDGsの理念と仏教の理念は同じです。むしろ仏教の願いは宇宙全体が幸せになることだとすると、SDGsの世界より壮大な理念です。本来仏教が持つ宇宙の幸せという理念に基づき、これからも布教を図っていっていただきたい。
今回の話を通して感じたのは、SDGsという言葉にとらわれるのではなく、よりよい社会や生きとし生けるものの幸せを願うことを中心に置くことです。それは仏教を始めあらゆる領域で多くの人々が務めてきたことです。SDGs以前に、それらのことに取り組み社会を支えてきた人、組織、団体がそのまま活動を続けることが大切だと感じました。目的はSDGsを広める事ではなく、よりよい社会を作ること。そんな根本を想起させていただいた僧侶の皆様に感謝申し上げます。